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フツーに、発達障害っぽい、おれとおまえの話。

【3.11 】忘れたくても、忘れられない人もいる

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Photo by Jude Beck on Unsplash

あなたは、忘れたい思い出はありますか?

 

逆に、忘れたくない思い出はありますか?

 

ぼくは、よくわかりません、今現在は。

 

 

2011311日金曜日1446分、東北地方太平洋沖を震源とする地震が発生した。

 

ぼくはその時、関東地方にあるスイミングスクールで働いていました。

 

毎週その時間は4.5歳の子どもを対象にしたクラスを受け持っていて、

当日は幼稚園のイベントか何かで人数は少なめの5人。いつもよりちょっと寂しいクラス。

 

1430分からのレッスンは順調に進んでいた。

ビート板を使ってプールの端から、10メートルほどを行ったり来たりを繰り返すウォーミングアップが終わろうとしていたところ。

 

プールの照明が突然、落ちた。

 

厳密に言えば、施設の全ての電気がついていなかったのだが、その状況は知る由もない。

すぐに社員のコーチが現状の確認に来るのだが、とりあえずレッスンは続けて良いとの事だったので、少し不安はあるものの、そのままレッスンを続けた。

 

次の瞬間、轟音と共に建物全体が揺れる。

 

ガラスが悲鳴を上げるようにガタガタと唸る。

鉄骨が軋む音、子ども達の泣く声、いわゆるパニック状態だ。

 

今でも覚えているのは、その時のぼくは凄く冷静だった。

なぜかわからないけど、視界がとてもクリアだったし頭もいつもより冴えていた。

 

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Photo by Jezael Melgoza on Unsplash


水面が見たこともないぐらい波を作っている。

巨漢のおじさんが何人飛び込んでも、あんな波は立たない。

 

子ども達をプールサイドに上げなければ。

幸い小さな子ども達だ、軽々持ち上がる。

だが、ここで予想外の状況が発生。

 

引き波だ。

 

プールサイドはプールから壁まで1メートルほど。

波は壁にぶつかってプールへ戻ろうとする。

どこで教えられたのか、子ども達はビート板をお尻の下に敷いて座っているのだ。

さながらサーフィン状態で、引き波と一緒にプールに引き込まれていく。

子ども達の身体の軽さが完全に裏目に出たのだ。

 

水面は津軽海峡の荒波のよう。

水中にある立つための赤い台も右へ左へ。

これはまずいな、泳げない子もいる。

ぼくも死ぬかもしれない、はじめてそう思った。

 

必死で子ども達を全員抱えてプールサイドに上がる。ビート板はプールに投げた。他のコーチ達にもビート板を敷かせるなと声をかける。

ここではじめて我に返って考えた。

 

なにが起きたんだ?そう思った瞬間、大きな揺れが襲った。

 

地震だ、そこでやっと確信した。

 

それもかなり大きい。

震源は関東か?これだけ大きいからそうに違いない。富士山か?どうなんだ?

たくさんの疑問があったが、とにかく人数確認だ。

ぼくのクラスは全員いる。よかった。

社員のコーチと手分けして水中に取り残された子どもがいないか確認して回る。

 

幸い子ども達は全員無事だった。

ただ、泣いている子ども達と、有り得ないテンションで「楽しかったぁ!!」と言う子どももいるから驚いた。多分強がってたんだろうなぁ。

 

見学に来ていた親達は泣きながら子ども達を抱きしめていた。

ぼくの手を握りながら「ありがとうございます、ありがとうございます」と言ってくれる親もいた。なんだかよくわからない不思議な感覚になった。

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Photo by Jezael Melgoza on Unsplash

まだその当時はガラケー主流の時代、ワンセグ付きの携帯を持っている人がテレビを付ける。

 

「お台場のビルで火災です!」

「千葉の工場地帯が燃えています」

 

ニュースキャスターの声が響き渡る。

まだ震源の情報などは錯綜していてよく分からない状態。

 

それよりも1番の問題は、親と連絡が取れない子ども達だ。すぐに迎えに来た親もいたが、共働きなどで勤め先にいる人もいた。結局20時頃まで子どもと一緒にいただろうか。

 

ある母親は遠くの職場から4時間以上かけて歩いて帰ってきたそうだ。

疲労困憊のなか、我が子に会えてホッとしたのか、子どもを抱きしめ泣いていた。

アイラインはグシャグシャだ。むしろ化粧なんてしてないくらいのスッピンだ。

親が子を思う気持ちを痛いほど感じた瞬間だった。

 

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Photo by Manuel Cosentino on Unsplash

その後、東北地方を震源とした大震災である事がわかるのだが、その後の災害は皆さんも覚えていらっしゃるだろう。

 

ぼくは東北地方で被災したわけではない。

何週間が不便な生活をして、日常に戻るための努力をみんながする中、ちょっと置いてけぼりを食らって、テンションが追いつかなかったくらいだ。

 

でも、あの日、人生で初めて死が目の前にあった。死の恐怖を感じた。これは忘れたくても忘れられない。

 

そして、ぼく以上に忘れたくても忘れられない人たちがいると思う。

忘れずに、想いを胸に秘めながら前を向いて歩いている人もたくさんいると思う。

だから、軽々しく「忘れちゃいけない」と言えないな、と思う。

でもどうだろう、やっぱり「忘れちゃいけない」ことなんだろうとも思う。

 

人生は止まってはくれない。

時間はどんどん進んでいく。

その人の時間だけが止まってしまう時だってある。それを進められるのは自分なのだけれど、誰かの優しさが前に進むキッカケになる事だってあるはずだ。

悲しいかな、その逆も然り。

 

人って、難しい生き物だなとつくづく思う。

嬉しいかな、その逆も然りで。

人って、面白い生き物だなとつくづく思う。

その難しさを楽しさにも変えられる力があると思うから。

 

毎年色々なことを考える1日です。

 

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Photo by Andre Benz on Unsplash

ぼくは、忘れたい思い出があります。

でも、忘れたくない思い出も、ぼくにはたくさんあることに気付いた2020年3月11日。

 

 

 

おわりに

 

またお目汚しの文章を書いてしまいました。

せっかくブログをやっているし、思っていることを書きたいな、と1時間くらいで書きました。

 

でも、タイトルに2時間悩みました。

いまでも正しいのかどうか、全く答えは出ていません。

いっそ記事を上げることをやめようかとも思いましたが、こうやって上げています。

 

文章は時に人を傷つけます。

文章は時に人を優しく包み込みます。

 

ぼくが書く文章は後者でありたいけれど、受け取り方は人それぞれで。

時には怒り爆発だってありえます、人ですから。

だから、こんな弱小ブログでもご批判もあるかもしれません。

色々考えは巡りますが、上げてみました。

 

こんなクソみたいな男が世の中にどんな影響を与えるかは分かりません。

ちょっとでも、なにか、なにかしらを感じ取ってもらえたら幸いです。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!