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フツーに、発達障害っぽい、おれとおまえの話。

勉強嫌いだったぼくが「英語しゃべれます」と言える理由

 

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Photo by Eliott Reyna on Unsplash

ぼくは英語が喋れます。

もし、英語しゃべれますか?と聞かれればそう答えます。

 

でも質問者の受け取り方はきっとこうです。

『日本語を話せる様に英語もしゃべれるんだろうな』いわゆるネイティブみたいにしゃべれるかという事ですね。

ペラペラにしゃべれますか?と聞かれれば

 

「いーや、全然。でも相手が何を伝えたいのかを分かろうとする努力はするよ。で、それに対してどう答えようかと考える努力もする」と答えます。

 

どうも、ぷるぽです!

早速斜め上からものを言うバージョンになっていますが、この記事を書くきっかけになった天使さん@tenshicosn のツイートをご紹介させていただきます。

 

「世界は広い」と知っている人間は強いというツイートにうなずき、心の中ではヘッドバンキング状態になりました。

 

ぼくが英語と本格的に向き合うことになったのは、中学1年の英語授業がスタートするタイミングでした。

そもそも勉強自体あまり好きではなく、外で遊ぶ事が仕事と思うような小学生だったぼくの成績はいわゆる「普通」でした。

 

そこで小6のぷるぽは考えました。

「英語学習のスタートってみんな中1からじゃん、だったら他の奴より出来る様になってやる!」と。


結果的に文法の解釈でつまずき、いや、派手に何度も転び、学習意欲は落ちる一方でした。

それでも興味はずっとあったんです、不思議と。

今回は英語との出会いから別れ、そして再会して「英語しゃべれます」と言えるようになるまでをお話していきます。(恋愛物みたいですね笑)

この記事は英語の勉強法などの解説ではありません。効率の良い勉強法はグーグル先生に聞けばたくさん出てきます。そちらを参考になさってください。貴重な時間を使ってくれる前にお伝えしておきます。

 

後日「ぷるぽが行った英会話勉強」をご紹介した記事を執筆しました。

使えるかどうか個人差があると思いますが、ちょっと覗いてみてくださいw

 

who2-department.hatenablog.com

 

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Photo by Alexis Brown on Unsplash

英語学習との出会いと別れ

英語学習との出会いは前述の通りですが、そこからは本当に苦労しました。興味があるから勉強するのだけれど理解できない、成績なんて上がるわけない状況だったわけです。

 

生き辛さを感じてはいたものの、この当時は自分の事を「発達障害かも?」なんて疑う事はありませんでした。そもそもその言葉自体知らなかった、むしろあったのか?と思う時代ですから。

 

今だから分かりますが、ぼくの根底には「なんでそうなるの?」が常にあるんです。

英語学習で言うとS+V+O+C(主語+述語動詞+目的語+補語)

文法の構造でのおなじみのこれを

 

「なんでこうなるの?補語って日本語なんだよ!」

というような、なんで?のオンパレードだったんですね。

 

かと言って細かく調べるまでには至りませんでした。その時思ってもスグに他の事に興味がいく。面白そうなものなんて、ゴロゴロ転がってたので。

 

英語への興味があり続けたのは、単なる憧れもありましたが、その当時のぼくは「人に自分の気持ちを伝えることのむずかしさ」を考えていた時期で、その延長だったと思います。

英語を勉強して話せるようになれば、英語圏の人たちの様に自分の思っている事をストレートに伝えられるんじゃないかと思っていたんです。

 

まぁ、この考えは間違っているとも言えるし、正しいとも言えそうです。

この辺は、今回の話とは主旨が違うので、機会があれば記事にしようかと思います。

 

高校受験を目前にした時、真っ先に思い浮かんだのが英語学習に特化した高校でした。

当時の成績は「中の上」くらいで、推薦枠で行けるとのこと。もう僕の中では1択でした。

しかし、前年度に入学した先輩が既に退学していて、ぼくたちは推薦枠を使う事が出来ないと高校から通達があった事を担任から聞かされました。

 


「マジか…」

 


いやぁ、最悪のパターンを想像できていなかったぼくの脳みそは、一瞬完全に停止したように思います。

 

今思えば他の高校だって良かったんですよ、英語特化型の高校なんて探せばまだまだあったと思うんですが、志望校の選択を先延ばしにしてました。

 

「強いこだわり」と「先々を見通す力のなさ」が、他の選択肢を選ぶ事を先延ばしにさせていたのかな、と今では思うのですが。

 

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Photo by Anthony DELANOIX on Unsplash

 そして、再会


ここからは、ひたすら英語と接点のない生活が始まります、多分10年くらい。

また英語と関わるきっかけが訪れたのが20代後半でした。

 

とあるアート展に出展して大賞を頂く事が出来たんです。

副賞はなんと「パリ1週間の旅」

やべぇ、なんにも喋れないや。どーするかな、嬉しいけど、やべー。でもついでだからイギリスも行っちゃおうと、好奇心だけは旺盛なぼくの脳内は忙しかったです。

 

案の定、色々と苦労したし、悔しい想いもたくさんしました。

フランスのど田舎にあるル・コルビュジエという建築家が設計した家を見に行くためにバスに乗った時に、たまたま隣になった18歳の男の子が話しかけてくれたんです。

 

青年「もしかして、ル・コルビュジエの家見に行くの?だったら一緒に見ようよ!ガイドもあるらしいよ」(全然話していることはわかりませんでしたけど、雰囲気翻訳です笑)

 

ぷるぽ「あーイエス、あんど、ノーサンキュウ」

 

旅の恥はかきすてと言いますが、当時は捨て切れなかったです。

 

しかし、この旅で得た収穫がありました。

今までぼくの中では「英語=学習能力の物指しの1つ」だったものが「英語=コミュニケーションツールの1つ」と考えられる様になった事です。

これ、かなり大切だと思うんです。確かに学習能力の物指しである側面はあると思います。

しかし、言語ってそもそも「誰かに何かを伝える術」なんですよね。それをアート作品に置き換えて表現できる方もいらっしゃいますが、あくまでも「ツールの1つ」なんです。

英語だけじゃなく、母国語以外の言語を理解できれば、たくさんの可能性が広がる、そう思えました。

 

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Photo by Kyle Glenn on Unsplash

しゃべれますよ

そこからお金を貯めて海外留学をして日本に帰ってくるのですが、帰国後に言われるベスト1はこれ。

 

「で、喋れるようになったの?」

 

99%がこれと言ってもいいです。

ぼくはその人に「もちろん喋れるよ」と伝えてました。今でもそう答えます。かなり忘れてますけど。

 

付け加えて言うと、「英語を喋るというハードルを1つ越えられたよ」という事。

そもそもみんな喋れるんだとぼくは思います。

聞き取れなくて、めんどくさいから諦めてるだけなんだよと。

 

街で道を訪ねて来た海外の方から英語で喋られると拒否反応を起こすのが、ぼくら大多数の日本人、英語に興味無い人はなおさらだと思います。

大前提として「聞き取れる事じゃないと喋れない」と言われていますが、頑張ればどこに行きたいか位は分かるような気がします。

ただめんどくさいだけで拒否する方もいるのは、それはそれ、その考えを否定したいわけじゃありません。

 

実際、目の前に英語の高いハードルがまだあったころ、駅で道を聞かれる事が多々ありました。

めんどくさいな、なんで俺に聞いてくるんだよ!という思いが強かった当時でさえ、時間的な余裕と心のバランスが取れてる時なら教えてました。

「ゴー、ストレート」「ライト ネクスト レフト」とか、出川哲郎さんより酷かった。

(ちなみに出川さんの事、ぼくは好きだし、英語勉強してる時は勇気貰いました!)

 

その当時は、ちゃんと伝えられなかったと思い自己嫌悪に陥ってましたけど、これ、喋れてますよね?

屁理屈に聞こえるかもしれないけど、恐れずに言います。

 

「喋れてます」

 

通じてるか、伝わってるかは抜きにして喋れてるんです。それがわかったなら次のステップの「伝わる会話」を考えれば良いかなと思ってます。

 

 

まとめ

今回は「英語しゃべれます」と言える理由についてお話してきました。

 

ぼくは今現在、発達障害グレーゾーン当事者です。コミュ力があるかと言われたら日によって波があるのでバラバラ。正直、日本語でのコミュニケーションすら取れない日だってあります。

 

コミュ力のアップにつながるよ!とか、もっと外交的・社交的になろうぜ!と言っているのではなく、冒頭でもご紹介した天使さんのツイートの「世界は広い」と知っている人間は強い、と言う事を伝えたい。

色々悩んでるし、めんどくさい性格だなと思ってますが、今いる世界だけが全てじゃないんです。道はたくさんあります。その道がある事を知って欲しくて一例として「英語」を使ったに過ぎません。ぼくも自分自身と向き合う道を選んで進んでいます。

やっぱり色々こわいですけどね。

でも、世界は広い、それに尽きます。

 

ちなみにぼくが留学したのはこちら

フィリピンの田舎町にあるCNE1です。

都市開発がガンガン進んでいて、ぼくが行っていたころとは大違いだとか。

宣伝しても1銭にもならないですけど、オススメですw

www.cne1jp.com